My Art Works 2

 高等学校2年の時に「倫理社会」を教えてくださったのが、非常勤で教えに来てくださっていた
俵 貢(たわら・みつぐ)先生でした。先生は日本福音ルーテル下関教会の牧師先生である
ことを後に知りましたが、進学高校で落ちこぼれていた私にとって、実に魅力的な授業をして
くださいました。他の教科では勉強について行けない私でしたが、倫理社会だけは成績がよく
「人生論」の本を好んで読んでいました。
 俵先生は毎回ガリ版刷りの資料を何枚も用意してくださり、アリストテレス・ソクラテス・プラトン
からマルクスまで、仏教からキリスト教まで幅広く、しかも奥深く、熱い授業をしてくださいました。
時に生徒を怒る時もありましたが、その時はその迫力に圧倒されました。日記をつけるように
強く勧めてくださったこともあって、私も日記をつけるようになっていきました。高校時代の尊敬で
きる何人かの先生のなかでも筆頭の先生でした。
 そういうわけで、高校を卒業して下関市立大学に入学した私は、高校の新聞部が発行して
いた高校新聞を整理していて、俵先生の書かれたコラム「私の推薦図書」に目が留まりました。
そこには内村鑑三の「人生の最大遺物」が薦められていました。さっそく読んでみようと本屋に
でかけて探しましたが、そのころの私は岩波文庫も知らず、見つけることができませんでした。
そこで、思い切って俵先生に「読んでみたいのですが、見つかりません。どうすれば見つけること
ができるでしょうか?」とハガキを出しました。
 それからしばらくしたある日の夕方、家に電話がかかってきました。「俵だけれど、今君の家の
すぐ近くまで来ている。表まで出てきてくれないかね」というものでした。あわてて国道に出て行っ
た私に車からおりて来られた俵先生が「後世への最大遺物」を手渡してくださったのでした。安岡
海岸の松林を背景に、ちょうど夕日に空が真っ赤に焼けていた中でのその時の情景を、私は今でも
忘れることができません。
 後日俵先生からハガキが届いて、「教会で読書会をすることになった。読書好きの君だが参加
してみませんか」とのことだった。本はヘルマン・ヘッセの「車輪の下」でした。
 その読書会を通してヘルマン・ヘッセの8割近くの著書を読み、のちにはドストエフスキーの著書
も読むようになりました。その間俵先生はずっと私の救いのために祈ってくださっていたと、後で
お聞きしました。
 また、先生は水彩画をよく描かれ、読書会のあとにすばらしい作品をたくさん見せてくださいま
した。松枝夫人の出してくださる食パン、傾いていた2階の部屋・・なつかしい思い出です。
 社会人1年生のクリスマスの日に洗礼を受け、私の真っ暗な心の中心に灯がともり、
暗闇の中に1本の道が開けていくのを実感しました。
 その後、毎週土曜日には牧師館にかよって週報のガリ版切りのお手伝いをしました。週報の
右上に俵先生は丘の上の3本の十字架のカットを描いておられたのですが、私にまかされてから
そのわずかな小さなスペースにその週ごとのカットを描いていくようになりました。手許にはわず
かしか残っていませんが掲載いたします。この土曜の夜のひととき、俵先生はさまざまなお話を
してくださり、その奥深さ、すばらしさに「人はお酒がなくても、お茶だけで、
こんなに楽しく充実
した宝のような時が持てるんだなあ・・!」と人と人との真実な交わりを体験できたのでした。

以下のものはずっと後になってのプログラムやチケットです。

俵牧師の週報
右上に
丘の上の3本
の十字架
のカット

薬師寺姉記念会
俵牧師夫妻をはじめ
安藤さん宇多村さん
など、なつかしい
方々がおられます

日本福音ルーテル下関教会時代